このように日本人にゆかりのある植物であるが、バラがいまのように「花の女王」として愛好されるようになるのは明治以降である。
明治維新を迎えると明治政府は「ラ・フランス」を農業試験用の植物として取り寄せ青山官制農園(いまの東京大学農学部)で栽培させた。馥郁とした香りを嗅ごうと見物客がしばしば訪れたので株には金網の柵がかけられたという。
まだ、バラは西洋の「高嶺の花」であった。
その後、バラが接ぎ木で増やせることから、優秀な接ぎ木職人のいる、東京郊外の川口市の安行や京阪神地域の郊外宝塚市の山本で栽培が行われるようになった。 バラは皇族、華族、高級官僚といったパトロンを得て、日本でも徐々に愛好され始め生産量も増え始めた。
大正から昭和のころには一般家庭にも普及し、宮沢賢治が「グリュース・アン・テプリッツ(日本名:日光)」を愛し、北原白秋の詩にもバラが登場している。
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第二次世界大戦で日本でもバラの栽培より野菜の栽培が優先され、生産が停滞する。
しかし、戦後すぐの1948年には銀座でバラの展示会が開かれた。さらに1949年には横浜でバラの展示会が開かれ、そのときにはアメリカから花を空輸して展示用の花がそろえられた。